日本青年会議所を退会した
「組織のために貢献しろ!」って言われても、自分の生活を犠牲にしてまでやるもんじゃないよね?
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」
買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。
(via https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045)
その後、文章が変わりました。
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
その後、削除されたようです。
https://anond.hatelabo.jp/20180306022312
大学生の頃、自治会入ったらそんな感じで辞めた思い出
自分達は良いことをやっている、先輩に申し訳無い事態にならぬよう、前もって言った仕事量より大分多いけどやれ、激務で体調崩したら自己管理が足りない、仕事の為に授業休むのは良いことってカンジだった
https://anond.hatelabo.jp/20180306072535
そういう経済成長が当たり前だった頃の遺物はさっさと滅びた方がいいよ。
何で自分の人望を失うようなことを平気で言うんだろうとか、
人望のない人がそういうレベルの役職に就けるんだろうとか、
ちょっと思った。
人望があることが管理職として昇進していく鍵ではないという時点で、組織が終わってるよ。
昔の古い習慣が残っていて、今の時代でもそれに固執してる人達がいるんですね?
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
JC絡みで普段あまり指摘されない問題が端的に書かれてる。時間と金が無限に吸い取られ自社の経営に関与できなくなるのだ。父親が健在で社長室長や常務やってるボンボンはいいが、増田みたいな状況だとマジで詰む。
2018/03/06 00:49
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
- [記憶と記録]
上下関係ガチガチでとにかく飲み会飲み会ゴルフに活動ばっかだから、昔からJC離婚って言うよ。今より専業主婦多かったし陰で泣いてる奥さん多い。…と母から聞いた。父は元JC。バブルの頃だけど交際費が月30万とも。
2018/03/06 06:56
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
達成感とか成長の実感って大抵はただの幻想に過ぎないんだよな。
2018/03/06 00:55
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
魚拓読んだ。思い当たるわー。まぁ自分の会社の上層部だけど。JC参加で会社の経営が疎かになり、海外出張などのJC参加経費ばかりが飛んでいく。地元で騒ぐので飲み屋街での評判も悪い。賢い若い経営者は参加してない
2018/03/06 12:12
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
“逆境が人を強くする、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ”この呪縛がある限り、裁量労働制含め労働時間関係の問題は永遠に解決しない。
2018/03/06 12:00
日本青年会議所を退会した - はてな匿名ダイアリー
「JCは大人の保育園」という言葉がピッタリなのではないか
2018/03/06 11:31
用語解説
青年会議所
公益社団法人日本青年会議所(にっぽんせいねんかいぎしょ、略称:日本JC(単にJCとも)、英: Junior Chamber International Japan、英語略称:JCI-Japan)は、青年経済人の社会活動を目的とする日本各地の青年会議所を会員として組織した公益社団法人である。国際青年会議所加盟。
世界125カ国に活動拠点がありJunior Chamber International(JCI、国際青年会議所)に加盟している。JCI本部は米国ミズーリ州セントルイスにあり、日本JCはJCIのNOM(National Organization Member、ノム)と呼ばれる国家青年会議所である。
問題となった事件・不祥事
2008年8月30日、日本JC近畿地区兵庫ブロック協議会会員大会内で開催した「憲法タウンミーティング」で運営上のトラブルがあり、パネルディスカッションの前の講演会が長引き、パネルディスカッションの時間が短くなったため、パネルディスカッションに招かれた参議院議員の世耕弘成はブログ『世耕日記』に、「JCの仕切りはお粗末そのもの」、「社会人としての常識、ルールを謙虚に学ぶことから始めるべきだろう。」、「公党の国会議員を呼びつけて憲法タウンミーティングを主催する資格などない。」と意見した。日本JC側は後日謝罪した。
八尾JC傷害致死事件
2006年10月7日午後9時50分頃、(社)八尾青年会議所(大阪、八尾JC)会員20人が、日本JC全国会員大会で集まった郡山市熱海町・磐梯熱海温泉のホテルで宴会中、会員(35)が「盛り上げようと思って」寝ていた新入会員(38)の頭髪にアルコール度数96%で引火性の強いウォッカをかけ、ライターで火を付け顔や全身に重度のやけどを負わせ、死亡させた傷害致死容疑で逮捕された。また、現場にいた八尾JC監事が同専務理事に、ウォッカ瓶を近くの川に捨てるよう指示していたことも発覚し、証拠隠滅容疑で逮捕された。大やけどを負った新入会員は、2006年10月27日に呼吸不全で死亡した。2007年5月31日、福島地裁郡山支部の判決公判で裁判長は「あまりに幼稚で不謹慎極まりなく、酌量の余地はない」として被告に懲役2年6月(求刑懲役6年)の実刑を言い渡した。弁護側は「ライターで体毛を焦がす行為は前から宴会の座興として行われており、やけどを負わせる意図はなく過失だった」と無罪を主張していた。2006年12月、八尾JCは、公益社団法人日本青年会議所(当時)から除名処分となった。
「宇予くん」問題
2018年2月、日本青年会議所国家戦略グループの内部組織である憲法改正推進委員会が、年初から「宇予くん」と称するキャラクターを用いたTwitterアカウントを運用し、「対左翼を意識し、炎上による拡散も狙う」というコンセプトの元で、関係ない機関・団体への誹謗中傷や品性を欠いた内容ばかり投稿していたとして、外部から批判を受けた。日本青年会議所はTwitterアカウントを削除し、2月28日「不適切だった」として謝罪した。
会員が多数いると、中にはヤバイ奴も混ざっているでしょう。
結構やらかしてますね?w
国際青年会議所
国際青年会議所(こくさいせいねんかいぎしょ、Junior Chamber International)は、青年の市民活動を推進する国際NGOである。
1944年セントルイスで設立され、現在の本部はチェスターフィールド。スローガンは Be Better(よりよくあれ)。
各国のNOM(National Organization Member、ノム)と呼ばれる国家青年会議所が加盟
商工会議所 青年部
日本商工会議所(にほんしょうこうかいぎしょ、略称:日商、英: The Japan Chamber of Commerce and Industry, JCCI)は、日本各地の商工会議所を会員として組織される団体。日本経済団体連合会、経済同友会と並ぶ「経済三団体」の一つである。
沿革
1890年9月、山縣有朋内閣が設置した商業会議所条例に基づき、法人格を持つ商業会議所に改組。
1954年、商工会議所法第三章の「日本商工会議所」に基づき特別認可法人となる。
検定事業
・簿記検定
・珠算能力検定